鹿児島県の温泉 源泉かけ流し足湯日帰り温泉 【道の駅たるみず 湯っ足り館】錦江湾から桜島を見て入浴 ガラス張りの浴室 桜島が眺められる国道220号沿いの道の駅「道の駅たるみず」にある温泉施設「湯っ足り館」に行ってきました。 この道の駅は、平成17年(2005年)3月に開業し、このあたりの農作物やお土産を販売する物産館やレストランのほかに温泉施設と無料の足湯があります。 温泉の建物は二階建てで、浴室は1階と2階にあって...
鹿児島県の温泉 源泉かけ流し宿泊体験貸切 【霧島湯之谷温泉 湯之谷山荘】2種類の白濁湯を満喫 霧島の一軒宿 霧島温泉のはずれ、国道223号から細い道を車を走らせて一軒宿「霧島湯之谷山荘」に到着しました。 湯之谷山荘は昭和15年(1940年)に湯治場として開業しました。 現在は改築されたこの宿の総客室数は15部屋とのことです。 自炊も出来るようですが、今回は1泊2食付きのプランをじゃらんで予約をしました。 建物は...
鹿児島県の温泉 源泉かけ流し白濁湯野湯 【山之城温泉】立ち入り禁止になった野湯 有毒ガスに注意 鹿児島にある西日本の野湯の代表格だった「山之城温泉」(やまんじょおんせん)に行ったことがあります。 この野湯は、多分今でも野湯として健在と思われますが、現在は立ち入りが禁止されているので今では入浴をすることが出来ません。 韓国岳の裾野を通る「えびのスカイライン」から山道に車を走らせると、数台の車が停まっ...
鹿児島県の温泉 源泉かけ流し外来入浴 【新湯温泉 国民宿舎新燃荘】混浴の白濁湯を満喫 西の秘湯の代表格 「国民宿舎 新燃荘」は霧島連山のひとつ新燃岳(しんもえだけ)のふもとのにある一軒宿です。 標高1,421mの新燃岳は活火山で、現在でも時おり噴火をしています。 「国民宿舎 新燃荘」は標高920mにあって、あちらこちらで硫黄孔や噴気孔を沢山見ることが出来ます。 あたりに咲いている薄いピンク色のミヤマキリ...
鹿児島県の温泉 足湯 【紫尾温泉 神乃湯 足湯】時々濁る温泉 名物はあおし柿 紫尾山(しびざん)の東に位置する紫尾温泉に誰でも無料で利用できる足湯があります。 正式名称は、「紫尾区営大衆浴場 足湯」で、平成17年(2005年)8月に造られました。 透明な温泉で満たされた足湯の浴槽内には、白と黒の玉石が敷き詰められています。 この温泉は白く濁る日もあって、そのときは「神さまがご入浴...
鹿児島県の温泉 源泉かけ流し外来入浴 【湯川内温泉 かじか荘】足元自噴の湯治宿 鹿児島の極上温泉 足元自噴の温泉として有名な鹿児島県の湯治宿「湯川内温泉 かじか荘」に日帰り温泉で入浴をしました。 この温泉は、宝歴4年(1754年)に発見され、島津家御用達の温泉として長い間利用され、明治に入って一般に開放されました。 細い山道の先にあるこの温泉は、まさに一軒宿の秘湯です。 本館で受付を済ませて、自炊...
鹿児島県の温泉 日帰り温泉 【霧島温泉健康増進交流センター 神乃湯】市営の温泉施設 地域交流の場 JR日豊温泉の霧島神宮駅から県道60号線沿を車で5分ほど走ったところに「霧島温泉健康増進交流センター 神乃湯」はあります。 ここは、霧島市が運営する公共の温泉施設です。 館内には、マッサージコーナーや売店、休憩出来る大広間などがあります。 広いロビーでは土産物やカップラーメンなどが販売されていました。 浴...
鹿児島県の温泉 足湯手湯 【天然温泉足湯 おやっとさぁ】鹿児島空港で到着後の温泉 空港到着後の一番風呂 大阪空港から鹿児島空港に到着して向えてくれる最初の温泉は、空港内にある足湯「おやっとさぁ」です。 「おやっとさぁ」は鹿児島弁で「お疲れさま」「ご苦労様」という意味だそうで、これから鹿児島を満喫したい私にとって逆の意味になってしまいます。 鹿児島を飛び立つ帰路のときに利用すべきだったのかとの思いから...
鹿児島県の温泉 混浴源泉かけ流し外来入浴 【古里温泉 桜島シーサードホテル】錦江湾を眺める混浴露天風呂 土色のにごり湯 鹿児島県の桜島にある古里温泉(ふるさとおんせん)「桜島シーサードホテル」の露天風呂に入浴しました。 古里温泉の開湯は1755年で、溶岩の隙間から温泉が湧出していたといわれています。 昔は海岸に共同浴場があったそうですが、今は無くなり温泉はここ「桜島シーサードホテル」と「さくらじまホテル」の2軒の宿泊施設...
鹿児島県の温泉 源泉かけ流し外来入浴 【吉松温泉 鶴丸温泉】九州屈指の黒湯温泉 地元に愛されている宿 鹿児島県と宮崎県の県境にある吉松温泉を代表する温泉施設が「鶴丸温泉」です。 この温泉は、昭和38年(1963年)頃、田んぼに温泉が噴出したのを機に、ドラム缶を置いてお湯を入れて夕方に近隣の人が入浴したのが始まりだそうです。 その後、この温泉の創業者が土地を購入して公衆浴場を造りました。 昭和43年...